椅子の脚
在宅勤務が増えてくると、自室の勤務環境の整ってなさに辟易する。
椅子は座りづらいし、机は小さい。モニターもないからノートPCの画面でエクセルと睨めっこ。背中が痛いし、確実にドライアイが悪化した。
本郷キャンパス総合図書館の3階が恋しい。人が少なくて静かだし、謎に重厚感あるから雰囲気に浸れる。
そしてなによりも椅子の脚がローラータイプじゃない。
多動症の人間からすると、椅子の脚が固定されてるか否かで集中力がまるで違う。
とは言え、オフィスチェアなんてほとんどローラータイプ(自分の職場ももちろんそう)だから、在宅だろうが出社だろうが関係ない。
それにしてもどうしてオフィスチェアはローラータイプしかないのか。立ったり座ったりが多いから?
誰かか教えてください。
うるさい話
ノイキャン付きBluetoothイヤホンが欲しくなり、半年前にAirPods Proを買った。
ギリギリまでSONYのWF-1000XM3とどちらにしようか迷っていたが、『WF-1000XM3は風切り音がうるさい』という口コミを見てAirPods Proに軍配が上がった。
これまでiPhone純正イヤホンを使っていた化石人間からすると、コードが絡まないし、マスクをしたまま付け外し可能だし、何よりノイキャンのおかげで電車内でもクリアに音楽とかラジオが聴けるのでとても良い。
ノイキャンに味を占めて移動中はずっとイヤホンを付けているせいか、たまに耳が裸の状態で街を歩くとめちゃうるさい。自動車のエンジン音、駅のアナウンス、デジタルサイネージから流れる広告とか。
だからと言って、広告にあふれた資本主義国家とキューバのような社会主義国家を対比させるように考えを発展させる能はない。ただうるさいというだけ。(cf. 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』)
ノイキャンなんて敢えてノイズを出し続けてるってことだから耳に悪そうだけど、街がうるさく感じるということは耳が良くなってるということに違いない、と思って調べてみたところ、ノイズが抑えられる分自然と音量設定も小さくなから耳には良いらしい。
イヤホン難聴に改善の兆しが見られた今、次は近視と乱視がひどい視覚と、一年中詰まってる点鼻薬が手放せない嗅覚、どちらか良くなってくれないかなぁなんてことを考えている。
真人間のすゝめ
『真人間になる』ことを目標に2019年上半期を過ごした結果、皆さんより一足先に真人間への仲間入りを果たすことができた僕でも、未だに理解できないことが少し残っている。
その一つが、そんなに深い関係性がない人間との飲み会で発生する「彼氏or彼女の写真見せて〜」のノリだ。
こう書くと、単純に彼女の写真を人に見せたくないだけだと思われそうだが、ここで言いたいのはその逆側、すなわち彼氏or彼女の写真を見せられる側になったときの話だ。
もちろん本当に仲が良い人とか、自分が尊敬してる人の彼氏or彼女がどんな感じか知りたい!というのはとても分かるが、このノリは『知り合って間もないコミュニティ』とか『よっ友との飲み会』の方が起こりやすい(気がする)。
自分的には、よっ友の彼氏or彼女なんて赤の他人以外の何者でもないし、写真を見せられたところで3秒後には顔も名前も忘れてしまうし、日向坂46の小坂菜緒さんレベルの顔面でもない限り「え、いい感じじゃん」以外の感想ストックを持ち合わせていないので困ってしまう。
↓オードリー若林さんに贔屓されて嬉しそうな小坂菜緒さん
とかなんとか言いながらも、実際にこのノリに遭遇したら「え〜見た〜い!」とガヤを飛ばすし、スマホに表示された写真を身を乗り出して見ようとしてる感を出すことに専念している。
これが社会性を身につけた真人間の振る舞いなのだと信じている。
雑記
「三日坊主」という言葉があるが、自分の場合は「零日小僧」といったところ。
新しいことを始めるのが不得手な人間はそもそも一日目を迎えられないので、三日続くかどうか、みたいな高度な議論には参加できないのだ。
カタカナ原理主義者にも伝わるよう言い換えるなら、新しいプロダクトをローンチしてないアントレプレナーがスケール期のマーケティングについて語るのはナンセンス、ということだ。
そんな「零日小僧」の自分を「三日坊主」へと成長させたくれたことでお馴染みのはてなブログを数か月ぶりに覗いてみたら、下記画像のような広告がたくさん表示されていた。
ブログを90日以上更新しないと広告が表示されるらしい。これはどういう目的なのか。
ぱっと思い付くのは、「広告が表示されるのは煩わしいから頻繁にブログを更新しよう」と思わせることでアクティブユーザーを増やす、というものだけど、放置されてる弱小ブログに広告を載せても意味ないんじゃ…とも思う。
しかも広告の内容がオフィスビルの後付けガラス窓という、しがない大学生には到底需要の無いものである。
あまりにも謎なので怪しい企業の釣り広告かと思ってクリックしてみたら、AGC(旧旭硝子)の立派な商品だった。
関係ないが、旭硝子は2018年7月にAGCへと社名を変更したらしい。言われてみれば「あさひぃ〜ガラスはAGC〜」のCMが耳に残ってる気がする。
最近流行りの公式っぽくないツイートするAGC公式アカウント↓
これもまた関係ないが、AGC(旧旭硝子)と旭化成って同じグループなのか?けどアサヒホールディングスは有名だけど「旭グループ」って聞いたことないな?と思い調べてみた。
するとAGCは三菱グループ、旭化成はみずほFG系列で、お互いまったく関係ない企業だし「旭グループ」なんてものは存在しないことが判明した。
ここまで書いて、これ意味ねぇだろ…と思ったインターネット広告の有用性を自分の行為でもって逆説的に証明してしまっていることに気づいた。
広告を見ていなければ、なんの関わりもない素材メーカーの沿革について調べてることなどまずなかっただろう。
そう考えると、企業が広告に莫大な予算を用意して、電◯だとか博◯堂みたいな広告代理店が儲かるのも納得である。
戯れ言
物事を懐疑的に見たり、他人の発言の裏に流れる文脈を汲み取ろうとしたり、自分の中の価値観とか感情を無数の要素による相互作用の結果として俯瞰で捉えたりする努力は、万人が素直な社会に属してない限り必要不可欠であることは変わらないけど、「物事を複雑に考えている自分」に酔って目的と手段を履き違え始める(ことに気づく)と、途端にダサくなってしまう。
この文章もそのうちの一つかもしれないけど、あいにく「酒」に酔って書いているから、もうどうでもよくなってくる。
安心感
心が弱いから『あなたのしていることは正しい!』と認めてくれる存在を常に欲してる。自分がメンヘラ嫌いなのは同族嫌悪なのかもしれない。
試験期間は『試験勉強をして単位を取得する』ことが(イ◯ハヤ界隈のようなサロンヤ◯ザを除けば)世間一般的な『正解』としてはっきりしているから、鬱だけど安心感があるっていうおかしな状態になる。就活を考えない口実にもなる。
いまの日本が自分みたいな人間、宗教とか祖国とか超越的な存在に全てを委ねることで安心感を得ようとする人たちばかりだったら、「イェルサレム奪還のために卍軍派遣!」とか「チェジュ島奇襲!」とかそんな状態だったと思うので、心がたくましい皆さんに感謝ですね。