逃避行記

真人間はあきらめた

多様性

僕の頭の中では

 

「多様性」↔︎「排除」≒「強制」

 

が成り立ってるんですけど、この感覚を理解してもらえない人(理解してないことを認識してない人)とは、いくら「多様性」について議論しても「この人とは議論が成立しない」ってことしか得られないと思う。

 

 

 

ってところまで書いて、似たようなことを電車内広告でホリエモンが言ってたのを思い出したので、書くのをやめます。

牽制のコミュニケーション

知り合ったばかりのA君とB君が会話をしているシーンを想像してもらいたい。

 

そこでA君がB君に対して

 

『心のパーソナルスペースに土足で踏み込んでくるような人が苦手だけど、B君はそのへんを感じ取ってくれるから一緒にいて落ち着くし本当にありがたい』

 

というようなことを伝えたとする。

 

するとB君は

  • A君に対してクリティカルすぎることを言わない方がいい

というネガティブな感情を抱く一方で、

  • 気が利く人間だと評価された
  • A君は自分のことを信頼してくれている

という2種類のポジティブな感情を抱くため、ネガティブ要素が軽減される。

 

結果的に、A君はB君に対して犠牲を最小限に抑えながらこれ以上近い距離感でのコミュニケーションは望んでいないというメッセージを送ることができるのだ。

 

文字に起こすとA君が「嫌な人間」のように思えてしまうかもしれないが、普段の会話を振り返ってみるとおそらく多くの人がこれに似たコミュニケーションを取っているはずであり、世間ではこれを「気遣い」と呼んでいるはずだ。